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かゝれとも覺束なくも思ほへて
是も昔のえにこそあるらめ

歌の意味
こうしておいでがなくても、気がかりに思われて、これも前世からの縁なのだろう。
鑑賞
 初めての夜の翌朝、帥の宮と後朝の歌を交わした和泉式部は、我ながら不思議な身の上だと思いながら、亡き宮があれほど言い残していたのにと悲しく思い乱れていた。そこへいつもの小舎人童がやって来たので、帥の宮からの文があるかと思ったが、そうではなかった。それをつらく思う自分を、好色めいていると省みながらも、童が帰参するのに託して歌を届けた。
 女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王である。帥の宮の北の方は藤原済時の娘で、その姉娍子は東宮居貞親王の女御であった。亡き宮は敦道親王の同母兄為尊親王で、長保四年(1002)六月に亡くなっていた。
 帥の宮から「ひたすらにまつ共いはゝ休らはて行へきものを妹か家路に」に、いいかげんに思っているとお思いだろうと思うとつらい、という言葉が添えられて届き、和泉式部は「いいえ、こちらでは何とも」と答えて、この歌を返した。
 和泉式部は歌の後に「お慰めがなくては、絶えてしまいましょう。露ほどでも」と書き添えた。帥の宮は訪ねようと思いながらも、そのまま日数が過ぎ、四月の晦日を迎えることになる。

 初句から第三句の「かゝれとも覺束なくも思ほへて」は、こうして訪れがなくても、心もとなく思われて、という意味で、「かかれども」はこうであるけれども、の意、「おぼつかなし」は気がかりで落ち着かないさまをいう。
 下の句の「是も昔のえにこそあるらめ」は、これも前世からの縁なのだろう、という意味で、「こそ〜らめ」は係り結び、「らめ」は現在推量の助動詞「らむ」の已然形である。「え」は縁を表し、帥の宮が最初の返歌「同しえになきつゝをりし郭公聲はかはらぬものとしらなん」で兄弟を同じ枝にたとえた、その「え」も響かせている。来訪のない恨みを口にするかわりに、思い慕う気持ちを宿縁として受け入れる、しっとりとした返歌である。

縁(え):えにし、ゆかり、前世からの因縁
作者
和泉式部
出典
和泉式部日記
前の歌
ひたすらにまつ共いはゝ休らはて 行へきものを妹か家路に
次の歌
郭公よに隱れたる忍ひねを いつかはきかんけふしすきなは