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忍ひねはくるしきものを郭公
こたかき聲をけふよりはきけ

歌の意味
人目を忍んで鳴く忍び音は苦しいものなのに。ほととぎすの梢高く鳴く声を、今日からは聞きなさい。
鑑賞
 帥の宮は和泉式部のもとへ通おうと思いながらも、人目や世間の非難をはばかって訪れることができず、日数が過ぎていった。四月の晦日の日、和泉式部は帥の宮に歌を送った。
 女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
 和泉式部の「郭公よに隱れたる忍ひねをいつかはきかんけふしすきなは」は、帥の宮の周りに人々が大勢いたため、翌朝に届けられた。それを見た帥の宮は、この歌を返した。
 返歌の言葉どおり、二、三日ののち、帥の宮は忍んで和泉式部のもとを訪れた。しかし和泉式部は物詣でを控えて精進していたため、二人は語り合うだけで夜を明かすことになる。

 初句と第二句の「忍ひねはくるしきものを」は、忍び音は苦しいものなのに、という意味で、和泉式部の歌の「忍ひね」をそのまま受けている。「ものを」は逆接、詠嘆の接続助詞で、人目を忍ぶ恋のつらさを自分の側から訴えている。
 第三句の「郭公」を挟んで、下の句の「こたかき聲をけふよりはきけ」は、梢の高い所で鳴く声を、今日からは聞きなさい、という意味である。「木高し」は木の梢が高いこと、「聞け」は命令形である。四月が過ぎて五月となれば、ほととぎすが声高く鳴くように、これからは忍ばずに堂々と訪れようという意を込め、相手の「今日し過ぎなば」に対して「今日よりは」と応じた返歌である。

木高し(こだかし):木の梢が高い
作者
敦道親王
出典
和泉式部日記
前の歌
郭公よに隱れたる忍ひねを いつかはきかんけふしすきなは
次の歌
いさやまたかゝる思を知ぬ哉 あひてもあはて明るものとは