よと共に物思ふ人は夜とても
うちとけてめのあふ時もなし
- 歌の意味
-
いつも物思いをしている人は、夜であっても、くつろいで目を閉じて眠る時もない。
- 鑑賞
-
四月の晦日の贈答から二、三日ののち、帥の宮は忍んで和泉式部のもとを訪れた。和泉式部はちょうど物詣でに出かけようとして精進していたうえ、帥の宮の訪れがたいそう間遠なのは、深いお気持ちがないからだろう、ただ薄情だと思われまいとして来ただけなのだろうと思ったので、格別に親しく話もせず、精進中であることを仏にかこつけて、そのまま夜を明かした。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
翌朝、帥の宮から「いさやまたかゝる思を知ぬ哉あひてもあはて明るものとは」に「あきれたことだ」と添えて届いた。和泉式部は、さぞあきれたことと思っただろうと気の毒に思って、この歌を返した。
歌の後には「めずらしいこととも思われません」と書き添えた。次の日、帥の宮から、今日物詣でに出かけるのか、いつ帰るのか、ますます気がかりだという文が届き、和泉式部は「おりすきはさても社︀やめ五月雨の今宵菖蒲のねをやかけまし」と答えることになる。
初句と第二句の「よと共に物思ふ人は」は、いつも物思いをしている人は、という意味で、「よと共に」はいつも、の意である。第三句の「夜とても」は、夜であっても、の意である。
下の句の「うちとけてめのあふ時もなし」は、くつろいで目が合う、すなわち眠る時もない、という意味で、「めのあふ」は上下のまぶたが合うことから眠ることをいう。この「あふ」には男女が逢うことも響かせ、帥の宮の「あひてもあはて」を受けて、物思いの尽きない自分には逢瀬も眠りも安らかなものではないと応じている。
目の合ふ(めのあう):まぶたが合う、眠る
うちとく:くつろぐ、気を許す
- 作者
-
和泉式部
- 出典
-
和泉式部日記
- 前の歌
-
いさやまたかゝる思を知ぬ哉 あひてもあはて明るものとは
- 次の歌
-
おりすきはさても社︀やめ五月雨の 今宵菖蒲のねをやかけまし