おりすきはさても社︀やめ五月雨の
今宵菖蒲のねをやかけまし
- 歌の意味
-
時節が過ぎてしまったならば、それでやめもしよう。けれども五月雨の降る今宵は、菖蒲の根を掛けるように、声をあげて泣こうか。
- 鑑賞
-
四月の晦日の贈答から二、三日ののち、帥の宮は忍んで和泉式部のもとを訪れた。和泉式部はちょうど物詣でに出かけようとして精進していたうえ、帥の宮の訪れがたいそう間遠なのは、深いお気持ちがないからだろう、ただ薄情だと思われまいとして来ただけなのだろうと思ったので、格別に親しく話もせず、精進中であることを仏にかこつけて、そのまま夜を明かした。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
共寝をしなかった夜の翌日、帥の宮から「今日は物詣でに出かけるのか。いつお帰りになるのだろう。(出かけたら)ましてどんなに気がかりだろう」という文が届き、和泉式部はこの歌で答えた。時は五月の初め、端午の節句を控えた頃であった。
和泉式部は歌の後に「と思っております。(もっとも)すぐに帰ってくるはずですが」と書き添えて物詣でに出かけ、二、三日ほどで帰った。帰ると帥の宮から、気がかりでたまらず参ろうと思うが、先夜のことがつらくて気が進まない、という文が届く。
初句と第二句の「おりすきはさても社︀やめ」は、時節が過ぎたならばそれでやめもしよう、という意味で、「ば」は未然形に付く仮定、「こそ〜め」は係り結びで、「め」は意志の助動詞「む」の已然形である。物詣でを終えるまでの間、逢瀬を控えることを暗示している。
第三句の「五月雨の」から、下の句の「今宵菖蒲のねをやかけまし」は、五月雨の降る今宵は、菖蒲の根を掛けようか、という意味で、「菖蒲の根」には声をあげて泣く意の「音」が掛けられている。端午の節句に菖蒲を軒に葺き、その根を袖などに掛けて邪気を払う風習を踏まえ、「や〜まし」はためらいを含む意志を表す。帥の宮の「おほつかなからん」に対して、自分も今宵は泣き暮らすほどだと、節句の景物に託して答えている。
五月雨(さみだれ):陰暦五月頃に降り続く長雨
菖蒲(あやめ):しょうぶ。端午の節句に軒に葺き、根を飾るなどして邪気を払った
音(ね):声、泣き声
- 作者
-
和泉式部
- 出典
-
和泉式部日記
- 前の歌
-
よと共に物思ふ人は夜とても うちとけてめのあふ時もなし
- 次の歌
-
つらけれと忘れやはする程ふれは いと戀しきにけふはまけ南