ころしても猶あかぬ哉ねぬ鳥の
折ふししらぬ今朝の初聲
- 歌の意味
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殺してもまだ飽き足りないことだ。時節もわきまえずに鳴いた、今朝の鶏の初声は。
- 鑑賞
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方角がふさがっていることを口実に、帥の宮は車で和泉式部を迎えに行き、前夜と同じ人目のない所で語り合った。夜が明けると「鶏の声がつらい」と言いながら、そっと和泉式部を車に乗せて送り届けた。道すがら帥の宮は「このような折には必ず必ず」と言い、和泉式部は「いつもいつもはどうして」と答えた。帥の宮は和泉式部を送り届けてから帰っていった。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
しばらくして帥の宮から文が届き、「今朝は、つらい鶏の声に起こされて恨めしかったので、殺してしまった。ご覧なさい」と書いて、鳥の羽に書きつけたこの歌が添えられていた。
和泉式部は「いかゝとは我こそ思へ朝な〳〵なきゝかせつる鳥を殺せは」と返し、「と存じますが、鳥の罪ではないのではありませんか」と書き添えた。
初句と第二句の「ころしても猶あかぬ哉」は、殺してもまだ飽き足りない、という意味で、「あく」は満足する、「かな」は詠嘆の終助詞である。鶏を殺したと言い、その羽に歌を書くという大胆で戯れた趣向が目をひく。
第三句から結句の「ねぬ鳥の折ふししらぬ今朝の初聲」は、時節もわきまえずに鳴いた今朝の鶏の初声は、という意味で、体言止めで結ばれている。「折節知らぬ」は、二人の別れを惜しむ気持ちなど構わずに鳴いたことを責める表現である。暁の別れを告げる鶏を恨む歌は恋の歌の伝統的な趣向であり、それを誇張して戯れながら、別れのつらさを伝えている。
鶏(とり):にわとり。夜明けを告げて、男女の別れを促す鳥とされた
飽く(あく):満足する、十分だと思う
- 作者
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敦道親王
- 出典
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和泉式部日記
- 前の歌
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朝露におくる思ひにくらふれは たゝに歸らん宵はまされり
- 次の歌
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いかゝとは我こそ思へ朝な〳〵 なきゝかせつる鳥を殺せは