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我ゆへに月を詠むとつけつれは
まことかと見に出てきにけり

歌の意味
私のために月を眺めて物思いにふけっていると告げてくれたので、本当かどうかと、見に出てきたのだ。
鑑賞
 門前の車をめぐる行き違いののち、帥の宮の訪れは間遠になっていた。月の明るい夜、和泉式部は横になりながら、「うらやましくも」などと口ずさんで月を眺めずにはいられず、帥の宮に「月をみてあれたる宿に詠むとは見にこぬ迄も誰につけよと」と歌を送った。和泉式部は樋洗童に命じて、その歌を右近の尉に手渡させ、「来ておくれ」と言って届けさせた。帥の宮は御前で人々と語らっているところだったが、人々が退出して奥へ入ろうとしたときに右近の尉が差し出したので、「いつもの車を用意せよ」と言って出かけた。和泉式部が端近で月を眺めていると人が入ってきたので、簾を下ろして座っていると、いつもの見慣れた装いではなく、着慣らした直衣姿がかえって趣深く見えた。帥の宮は何も言わず、扇に文をのせて「使いが早く帰ってしまったので」と差し入れ、和泉式部も扇を差し出して受け取った。帥の宮は前栽の趣深い中を歩きながら「人は草葉の露なれや」と口ずさみ、たいそう優美であった。近くに寄ると、「今夜はこれで帰ろう。誰と忍び会っているのか見届けに来たのだ。明日は物忌みだというのに、邸にいなければ怪しまれよう」と言って帰ろうとした。
 女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。樋洗童は、便器の清掃などの雑用に仕える少女である。右近の尉は、帥の宮の外出の供や文の取り次ぎをつとめた側近の従者である。
 和泉式部の「月をみてあれたる宿に詠むとは見にこぬ迄も誰につけよと」に答えて、帥の宮が書いた歌である。使いがすぐ帰ってしまったので、帥の宮は自ら訪れ、この歌を書いた文を扇にのせて差し入れた。
 和泉式部は、帥の宮が帰ったあとで簾を上げてこの歌を見た。うれしくお思いくださることだ、ひどくよくない女のようにお聞きになっているらしいが、どうか思い直していただきたいと願った。帥の宮もまた、和泉式部を言うかいのない人ではない、所在ない日々の慰めにはと思うようになっていたが、まもなく和泉式部をめぐる噂が帥の宮の耳に入ることになる。

 初句から第三句の「我ゆへに月を詠むとつけつれは」は、私のために月を眺めていると告げてくれたので、という意味で、和泉式部の歌の「詠む」「つけよ」をそのまま受けている。「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形、「ば」は確定条件である。
 下の句の「まことかと見に出てきにけり」は、本当かと見に出てきたのだ、という意味で、和泉式部の歌の「見にこぬ迄も」を受け、自分は見に来たと応じている。「にけり」は完了と詠嘆の助動詞の組み合わせである。歌を書いた本人がその場に来ているという趣向自体が返事になっており、ことばと行動の両方で相手の歌に応えた一首である。

告ぐ(つぐ):知らせる
作者
敦道親王
出典
和泉式部日記
前の歌
あちきなく雲井の月にさそはれて 影こそいつれ心やはゆく
次の歌
よしやよし今はうらみし磯に出て こき離れ行海人の小舟を