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袖の浦にたゝわかやくとしほたれて
船流したる蜑と社なれ

歌の意味
袖の浦で、ただ自分の務めと塩を焼き、潮に濡れて、頼みの舟まで流してしまった海人のように、私は涙に袖を濡らしている。
鑑賞
 月の夜の訪れののち、帥の宮は、和泉式部は言うかいのない人ではない、所在ない日々の慰めにはと思っていた。ところが、ある人々が「この頃は源少将などが通っているそうだ。昼にもいらっしゃるようだ」と言い、また別の人が「兵部卿も通っておいでだそうだ」などと口々に申し上げたので、帥の宮はひどく浮ついた女だと思い、長く文もよこさなかった。小舎人童が和泉式部のもとへ来て、樋洗童といつものように話し込み、樋洗童が「お文はあるの」と尋ねると、童は「そんなものはない。先日いらしたけれど、門に車があったのを御覧になって、お便りもないのだろう。男が通っているとお聞きになったようだ」と言って帰っていった。和泉式部はそれを聞いてたいそうつらく、ことさら頼りにしているわけではないが、時々思い出してくださる間は文を交わしていようと思っていたのに、よりによって心外なことでそう思われてしまったと嘆いた。
 女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。源少将は源氏の近衛少将、兵部卿は兵部省の長官を指す呼称である。
 帥の宮から、気分がすぐれず、参上しても折が悪くて帰るばかりだったという言葉とともに「よしやよし今はうらみし磯に出てこき離れ行海人の小舟を」が届いた。和泉式部は、ひどい噂をお聞きになったのだと思うと恥ずかしく、お返事するのも平気な顔をしているようだが、今度だけはと思って、この歌を返した。
 そうこうするうちに七月になった。七夕の日、多くの男たちから歌が届いたが、和泉式部は目もくれず、こういう折には帥の宮は必ず便りをくださったのに、すっかりお忘れになったのかと思っていると、帥の宮から文が届くことになる。

 初句と第二句の「袖の浦にたゝわかやくと」は、袖の浦で、ただ自分の務めとして塩を焼くと、という意味で、「袖の浦」は出羽国の歌枕であり、ここでは涙に濡れる自分の袖をたとえる。「やく」には塩を「焼く」と、自分の「役」が重ねられている。第三句の「しほたれて」は、潮に濡れて、の意で、涙に濡れることのたとえである。
 下の句の「船流したる蜑と社なれ」は、舟を流してしまった海人となっている、という意味で、「こそ〜なれ」は係り結びである。帥の宮の歌の「海人の小舟」を受け、自分は漕ぎ離れていった舟ではなく、むしろ頼みの舟を流されて途方に暮れている海人だと切り返している。浦、塩焼く、潮垂る、舟、海人と海の縁語を連ね、相手の比喩を逆手にとって嘆きを訴えた返歌である。

潮垂る(しおたる):潮に濡れてしずくが垂れる。涙で袖が濡れることのたとえ
海人(あま):漁をする人、海で働く人
作者
和泉式部
出典
和泉式部日記
前の歌
よしやよし今はうらみし磯に出て こき離れ行海人の小舟を
次の歌
思ひきや七夕つめにみをなして 天の河原をなかむへしとは