我ならぬ人もさそみん長月の
晨明の月にしかしあはれは
- 歌の意味
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私以外の人も、きっとこうして眺めているだろう。九月の有明の月の美しさに及ぶものはあるまい、このしみじみとした趣は。
- 鑑賞
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九月の二十日過ぎ、有明の月に目を覚ました帥の宮は、ずいぶん久しく会っていないことだ、あの人もこの月を見ているだろうと思い、いつもの小舎人童だけを供にして出かけ、和泉式部の家の門を叩かせた。和泉式部はちょうど目を覚まして、さまざまなことを思い続けながら横になっていた。このところは季節のせいか、いつもより心細く、しみじみと物思いに沈んでいたのである。誰だろうと不審に思い、そばに寝ていた侍女を起こして尋ねさせようとしたが、すぐには起きない。ようやく起きても、あちこち物にぶつかって騒いでいるうちに、門を叩く音はやんでしまった。帰ってしまったのだろうか、寝坊な者だとお思いになっただろうと思うと残念で、自分と同じように眠れずにいたのは誰だろうと思った。侍女はようやく出ていったが誰もおらず、「空耳でも聞いたのでしょう。夜中に人を起こして困らせるとは」と腹を立てて、また寝てしまった。和泉式部はそのまま起きて、霧の立ちこめた空を眺めながら夜を明かし、明るくなると、この暁のあいだに心に浮かんだことを紙に書きつけていた。そこへ帥の宮から、いつものように文が届いた。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
和泉式部が明け方に手習のように書きつけた文章の一首である。こうして夜を明かすよりはと妻戸を押し開けると、大空には西に傾いた月が遠く澄みわたって見え、霧の立ちこめた空の様子に、鐘の音や鳥の声がひとつに響き合っていた。過ぎた昔にも、これから先にも、これほどの折はあるまいと、涙に濡れた袖の色までしみじみと珍しく思われて、和泉式部はこの歌を書きつけた。
この手習の文は、帥の宮の「秋の夜の有明の月の入まてにやすらひかねて歸りにし哉」への返事として、そのまま届けられた。帥の宮はこの歌に「我ならぬ人も有明の空をのみおなし心になかめけるかな」と答えた。
初句と第二句の「我ならぬ人もさそみん」は、私以外の人もきっと見ているだろう、という意味で、「さぞ」はきっと、「む」は推量の助動詞である。第三句の「長月の」は、陰暦九月の、の意である。
下の句の「晨明の月にしかしあはれは」は、有明の月に及ぶものはあるまい、このしみじみとした趣は、という意味で、「しかじ」は「如く」に打消推量の「じ」が付いた形で、及ばない、まさるものはない、の意である。倒置によって「あはれは」を結句に置き、晩秋の明け方の月の美しさに心を奪われた感動を、余韻を残して結んでいる。同じ月を見ているかもしれない人として、帥の宮への思いもにじむ一首である。
長月(ながつき):陰暦九月
如く(しく):及ぶ、匹敵する
- 作者
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和泉式部
- 出典
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和泉式部日記
- 前の歌
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まとろまてあはれ幾夜に成ぬらん 只鴈金を聞わさにして
- 次の歌
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よそにても同し心に在明の 月をみるやと誰にとはまし