戀しくはきてもみよかし千早振
神のいさむる道ならなくに
- 歌の意味
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恋しいのなら、来て逢ってごらんなさい。神が禁じている道というわけでもないのに。
- 鑑賞
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出家をほのめかした夜の贈答ののちも、和泉式部はしみじみと悲しく思われて、嘆いてばかりいた。早く決心して邸に参っていればよかったと思っていた昼頃、帥の宮から文が届いた。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
帥の宮から「あな戀しいまも見てしか山賤の垣ほにおふるやまと撫子」が届き、和泉式部は「ああ、もの狂おしいこと」と思わず口にして、この歌を返した。
帥の宮はこれを見てほほえんだ。この頃、帥の宮は経を習っていたので、「あふみちは神の諫にあらねとも法の蓬にをれはたゝぬそ」と返した。
この歌は、『伊勢物語』第七十一段で、斎宮に仕える女が詠んだ「恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに」をそのまま引いたもので、恋しいなら来て逢ってごらんなさい、恋の道は神が禁じる道ではないのだから、という内容である。
初句と第二句の「戀しくはきてもみよかし」は、恋しいのなら来て逢ってごらんなさい、という意味で、「見よ」は命令形、「かし」は念を押す終助詞である。帥の宮の歌の「あな戀し」「見てしか」を受けている。
第三句の「千早振」は「神」にかかる枕詞である。下の句の「神のいさむる道ならなくに」は、神が禁じる道ではないのに、という意味で、「なくに」は打消の詠嘆を表す。古歌で恋しさを伝えてきた帥の宮に、こちらも古歌をそのまま用いて、恋しいなら言葉ではなく自分で来ればよいと切り返しており、古歌の応酬という趣向そのものを楽しんでいる。
千早振る(ちはやぶる):「神」などにかかる枕詞
諫む(いさむ):禁じる、制止する
- 作者
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和泉式部
- 出典
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和泉式部日記
- 前の歌
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あな戀しいまも見てしか山賤の 垣ほにおふるやまと撫子
- 次の歌
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あふみちは神の諫にあらねとも 法の蓬にをれはたゝぬそ