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あふみちは神の諫にあらねとも
法の蓬にをれはたゝぬそ

歌の意味
逢いに行く道は、神が禁じているわけではないけれど、今は仏法を学ぶ座にいるので、立って行けないのだ。
鑑賞
 出家をほのめかした夜の贈答ののちも、和泉式部はしみじみと悲しく思われて、嘆いてばかりいた。早く決心して邸に参っていればよかったと思っていた昼頃、帥の宮から文が届いた。
 女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
 和泉式部から「戀しくはきてもみよかし千早振神のいさむる道ならなくに」が届き、帥の宮はほほえんで見た。この頃、帥の宮は経を習っていたので、この歌を返した。
 和泉式部は「われさらは進みてゆかん君はたゝ法の筵をひろむはかりそ」と返した。二人はこのように歌を交わしながら日々を過ごした。

 初句と第二句の「あふみちは神の諫に」は、逢う道は神の禁じるものに、という意味で、和泉式部の歌の「神のいさむる道」を受けている。第三句の「あらねとも」は、ではないけれども、の意で、「ども」は逆接である。
 下の句の「法の蓬にをれはたゝぬそ」は、仏法の座にいるので立てないのだ、という意味で、経を習う座についていることをいい、「ぞ」は強意の終助詞的な用法である。和泉式部の「神のいさむる道ならなくに」を認めつつ、自分を引きとめているのは神ではなく仏の教えだと、経を習っている身の上を言い訳に、すぐには行けない事情を戯れまじりに伝えている。

法(のり):仏の教え、仏法
作者
敦道親王
出典
和泉式部日記
前の歌
戀しくはきてもみよかし千早振 神のいさむる道ならなくに
次の歌
われさらは進みてゆかん君はたゝ 法の筵をひろむはかりそ