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紀伊の国の白良の浜に拾ふてふ
この石こそは巌ともなれ

歌の意味
紀伊の国の白良の浜で拾うというこの石こそが、やがては大きな巌ともなるのだ。
鑑賞
 寛弘五年(1008)の秋、中宮彰子が出産のため土御門殿に滞在していた頃のこと。播磨守が碁の負けわざとしてもてなしを催した日、紫式部はちょうど一時的に里へ退出していた。後になってそのときの御盤の様子を見ると、華足などが趣深くしつらえられ、洲浜の水辺の模様に歌が書き混ぜてあった。
 播磨守は播磨国(現在の兵庫県南西部)の国司の長官を指す呼称である。原文にはこの歌の作者は記されていない。
 碁に負けた側が勝った側をもてなす負けわざの席で、饗応の御盤に置かれた洲浜の飾りに、祝いの意を込めてこの歌が書き添えられていた。
 歌の後には「扇どもも、をかしきを、そのころは人びと持たり」と続き、当時の人々が持っていた趣向を凝らした扇へと話題が移っていく。

 初句から第三句の「紀伊の国の白良の浜に拾ふてふ」は、紀伊国(現在の和歌山県)の白良の浜で拾うという石、という意味で、「てふ」は「といふ」がつまった形である。白砂の浜の名を出すことで、洲浜の飾りと碁の白石を結びつけている。
 下の句の「この石こそは巌ともなれ」は、この小さな石こそが大きな巌にもなるのだ、という意味で、「こそ〜なれ」は係り結び、「なれ」は動詞「なる」の已然形である。小石が巌となるという発想は、『古今和歌集』賀歌の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」に通じ、長寿と繁栄を祝う心が込められている。

負けわざ(まけわざ):勝負に負けた側が勝った側に饗応や贈り物をすること
御盤(おばん):食べ物などを載せて供する台
華足(けそく):花形の飾りを彫った台の脚、またそうした脚のついた台
洲浜(すはま):入り組んだ海辺の形をかたどった台に、木石や鳥などを配した飾り物
巌(いわお):大きな岩
出典
紫式部日記
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白露は分きても置かじ女郎花 心からにや色の染むらむ
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菊の露若ゆばかりに袖触れて 花のあるじに千代は譲らむ