古典和歌stream

水鳥を水の上とやよそに見む
われも浮きたる世を過ぐしつつ

歌の意味
水鳥を、水の上で無心に遊んでいるものと、自分とは関わりのないものとして見ることができようか。私もまた、浮いたように落ち着かない、憂いの多い世を過ごしているのだから。
鑑賞
 寛弘五年(1008)十月、一条天皇の土御門殿への行幸が近づき、道長は邸内をいっそう手入れさせていた。見事な菊が探し求められて植えられ、朝霧の切れ間に見渡すその眺めは、老いも退きそうなほどであった。しかし紫式部は、めでたいことや趣深いことを見聞きするにつけても、心を占める思いにばかり強く引かれ、思いがけず嘆かわしいことが増していくのを苦しく感じていた。夜が明けるとぼんやりと物思いにふけり、池の水鳥たちが何の悩みもなさそうに遊び合う姿を見つめていた。
 この行幸は、敦成親王の誕生を受けて、一条天皇が皇子と対面するために行われたもので、十月十六日に実現した。
 華やかな行幸の準備に沸く邸の中で、自分だけが晴れない思いを抱え、無心に遊ぶ水鳥に自分の身を重ね合わせたことが、この歌を詠む契機となった。
 歌の後で紫式部は「かれもさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなり(あの鳥もあのように満ち足りて遊んでいるように見えるが、その身はひどく苦しいのだろう)」と思いを寄せており、華やかな宮廷生活の中で深まる孤独と憂いは、この後の述懐へとつながっていく。
 『千載和歌集』冬の部に紫式部の作として入集している。

 初句と第二句の「水鳥を水の上とや」は、水鳥を、ただ水の上に浮いて遊ぶものとして、という意味で、「や」は反語の係助詞である。第三句の「よそに見む」で、無関係なものとして見ていられようか、いや見てはいられない、と反語的に結ぶ。「む」は推量の助動詞である。
 下の句の「われも浮きたる世を過ぐしつつ」の「浮き」には、水鳥が水に「浮く」意と、つらい「憂き」世の意が掛けられている。「つつ」は継続を表し、自分もまた落ち着かない憂き世を生き続けている、という思いを余韻として残す。華やぐ行幸前の邸を舞台にしながら、外から見た優雅さと内にある苦しさとを、水鳥とわが身の両方に重ねて見る、紫式部の内省がよく表れた一首である。

行幸(ぎょうこう):天皇が外出すること
浮く(うく):水に浮く。歌では、つらい意の「憂し」と掛けて用いられる
過ぐす(すぐす):月日を送る、暮らす
作者
紫式部
出典
紫式部日記
前の歌
めづらしき光さしそふさかづきは もちながらこそ千代もめぐらめ
次の歌
雲間なくながむる空もかきくらし いかにしのぶる時雨れなるらむ