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いかにいかがかぞへやるべき八千歳の
あまり久しき君が御代をば

歌の意味
五十日(いか)の祝いの今日、いったいどのように数え尽くすことができようか。八千年にも余るほど久しく続く若宮の御代を。
鑑賞
 寛弘五年(1008)十一月一日、土御門殿で敦成親王の誕生五十日を祝う御五十日の儀が催された。女房たちは装いを凝らして中宮の御前に集い、道長が若宮に祝いの餅を含ませた。宴が進むと公卿たちは酔い乱れ、右大臣は几帳の綻びを引きちぎって戯れ、左衛門督は「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ(恐れ入りますが、このあたりに若紫はおいでですか)」と女房たちの方をうかがった。恐ろしいほどの酔いぶりになりそうだと見た紫式部は、宴が終わるとすぐ宰相の君と示し合わせて御帳台の後ろに隠れたが、道長に几帳を取り払われ、二人とも捕まえられて座らされた。道長は「和歌を一首詠め。そうすれば許してやろう」と言った。
 宰相の君は藤原道綱の娘で、中宮彰子に仕える上臈女房である。左衛門督は藤原公任のことで、その「若紫」の呼びかけは、『源氏物語』が宮中で読まれていたことを示す最古の記録とされ、この十一月一日はのちに「古典の日」と定められた。
 道長に「和歌を一首詠め。そうすれば許してやろう」と迫られ、紫式部はひどく困り恐ろしくもあったので、この歌を詠んで差し上げた。
 道長は「あはれ、仕うまつれるかな(ああ、見事に詠んだものだ)」と二度ほど口ずさみ、すぐに「あしたづの齢しあらば君が代の千歳の数もかぞへとりてむ」と返した。さらに「宮の御前、聞こしめすや。仕うまつれり(中宮様、お聞きになりましたか。うまく詠みましたぞ)」と自画自賛し、自分は中宮の父として、中宮は自分の娘として申し分ないと戯れたため、それを聞き苦しく思ったらしい倫子は席を立ち、道長は慌ててその後を追った。

 初句と第二句の「いかにいかがかぞへやるべき」は、どのようにしてどうして数え尽くすことができようか、という反語で、「べき」は可能の助動詞「べし」の連体形である。「いかにいかが」には、この日の祝いである「五十日(いか)」が掛けられており、場にふさわしい機知が込められている。
 下の句の「あまり久しき君が御代をば」は、第三句の「八千歳の」を受けて、八千年にも余るほど久しい若宮の御代を、という意味である。数えるべき対象を末尾に置く倒置法によって、若宮の御代の果てしない長さを強調している。宴の席で即座に求められた歌でありながら、五十日の祝いと御代の長久を一首に収めた、賀の歌の手本のような作である。

五十日(いか):誕生五十日目の祝い。子の口に餅を含ませる儀式を行う
御帳(みちょう):貴人の寝所や座所として周囲に帳を垂らした台
八千歳(やちとせ):八千年、きわめて長い年月
御代(みよ):天皇や皇子の治める世、またその寿命
作者
紫式部
出典
紫式部日記
前の歌
ことわりの時雨れの空は雲間あれど ながむる袖ぞ乾く間もなき
次の歌
あしたづの齢しあらば君が代の 千歳の数もかぞへとりてむ