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おほかりし豊の宮人さしわきて
しるき日蔭をあはれとぞ見し

歌の意味
大勢いた豊明の節会の宮人たちの中で、とりわけ目立っていた日蔭のかずらを付けたあなたの姿を、しみじみと感慨深く拝見したことだ。
鑑賞
 寛弘五年(1008)十一月、中宮彰子が内裏に還啓した後、宮中では五節の行事が行われた。中宮の御前からは侍従の宰相の五節の局がすぐ見渡せた。宰相中将が、以前から見知っている左京という女房が、あの女御の方に仕えて舞姫の介添え役として出ていると語り、源少将もそれを見知っていた。かつて内裏で奥ゆかしく振る舞っていた人が、今このような姿で人前に出ているのは隠しておきたいことだろうと、中宮方の女房たちはそれを明かして戯れようと考えた。御前にあった扇の中から蓬莱をかたどったものを選び、箱の蓋に広げて日蔭のかずらを丸め、反らせた櫛や白い物忌みの品を添え、大輔のおもとに歌を書きつけさせた。
 侍従の宰相は藤原実成で、内大臣藤原公季の子である。あの女御とは、実成の姉で一条天皇の女御である弘徽殿女御藤原義子を指す。左京は、その女御の方に仕えていた女房である。
 かつて宮中で見知っていた左京が、舞姫の介添え役として五節に出ていることを知った中宮方の女房たちが、それをからかう趣向として、日蔭のかずらに添えて贈ったのがこの歌である。中宮は、どうせなら趣向を凝らして扇などももっとたくさん、と言ったが、紫式部は、仰々しくては場にそぐわない、これは内々の戯れだからと申し上げた。
 品は顔の知られていない局の者に持たせ、「中納言の君のお手紙を、女御様から左京の君に差し上げます」と高らかに言って置いてこさせた。後に、内大臣の公季はこれを中宮からの贈り物と思い込み、臨時の祭の日に、白銀の冊子箱や鏡、櫛などを添えた丁重な返礼を、葦手書きの返歌とともに届けてきた。紫式部は、ささいな戯れが大げさになってしまったことを気の毒に思っている。

 初句と第二句の「おほかりし豊の宮人」は、大勢いた豊明の節会の宮人たち、という意味で、「豊の宮人」は五節に奉仕する人々を指す。第三句の「さしわきて」は、その中でもとりわけ、の意である。
 下の句の「しるき日蔭をあはれとぞ見し」の「しるき」は、はっきり目立つ、の意である。「日蔭」には、五節の際に冠や髪に掛ける日蔭のかずらと、人目につかない日陰の身という意が重なり、かつて奥ゆかしかった左京が人前に出てひときわ目立っていたことを暗にほのめかしている。「あはれとぞ見し」は、しみじみと感慨深く拝見した、という意味で、「ぞ〜し」は係り結び、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。表向きは賛辞の形をとりながら、皮肉を含ませた戯れの歌である。

五節(ごせち):新嘗祭や大嘗祭の際に行われた、舞姫による舞を中心とする宮中行事
豊明(とよのあかり):新嘗祭の翌日に行われる宮中の宴、豊明の節会
日蔭(ひかげ):日蔭のかずら。神事の際に冠などに掛けて垂らすつる草
物忌み(ものいみ):ここでは、物忌みのしるしとして付ける白い紙や絹の飾り
舞姫(まいひめ):五節の舞を舞う少女
葦手(あしで):文字を葦や水鳥などの絵になじませて書く書き方
作者
紫式部
出典
紫式部日記
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