年暮れてわが世更け行く風の音に
心の中のすさまじきかな
- 歌の意味
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今年も暮れて、夜が更けていくように私の齢も老けていく。吹きすさぶ風の音を聞くにつけ、心の中は寒々として荒涼としていることだ。
- 鑑賞
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寛弘五年(1008)十二月二十九日、紫式部は里から宮中に参上した。初めて宮仕えに出たのも同じ十二月二十九日の夜のことで、そのときは夢路をさまようように心細かったと思い出すにつけ、今ではすっかり宮中に慣れてしまった自分を疎ましく感じた。夜はたいそう更けており、中宮が物忌みであったため御前にも参らず、心細く横になっていると、近くにいた女房たちが「やはり宮中は様子が違う。里ならもう寝ているところなのに、絶え間ない沓の音だこと」と色めいた調子で話しているのが聞こえた。
紫式部が初めて中宮彰子のもとに出仕したのは、寛弘二年(1005)または三年頃の十二月二十九日とされている。
宮仕えに慣れきった自分への嫌悪と、年の瀬の夜の心細さのなかで、男たちの訪れを待つような女房たちの浮き立った会話を耳にしたことが、この歌を詠む契機となった。
この歌は誰かに贈ったものではなく、紫式部が思わずつぶやいた独り言として記されている。場面はこの後、大晦日の夜に宮中で起きた引きはぎ事件へと移っていく。
『玉葉和歌集』冬の部に紫式部の作として入集している。
初句の「年暮れて」は、今年も暮れて、という意味で、年の瀬の時を示す。第二句の「わが世更け行く」の「世」には、夜が更けていくことと、自分の齢が老いていくことが掛けられており、「更く」が夜と年齢の両方にかかっている。第三句の「風の音に」は、師走の夜に吹きすさぶ風の音を聞くにつけて、の意である。
下の句の「心の中のすさまじきかな」の「すさまじ」は、寒々として興ざめな、荒涼とした様子をいう。「かな」は詠嘆の終助詞である。沓音に浮き立つ女房たちの華やぎと対照的に、年を重ねる孤独と宮仕えへの違和感を風の音に重ねた、紫式部の内面を映す一首である。
夢路(ゆめじ):夢の中の道、夢を見ること
沓(くつ):貴族の履く履物。ここでは宮中を行き来する男性の足音
物忌み(ものいみ):陰陽道で凶事を避けるため、一定期間家にこもって身を慎むこと
- 作者
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紫式部
- 出典
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紫式部日記
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おほかりし豊の宮人さしわきて しるき日蔭をあはれとぞ見し
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すきものと名にしたてれば見る人の 折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ