霞まずは何をか春と思はまし
まだ雪消えぬみ吉野の山
- 歌の意味
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もし霞がかからなかったら、何を春と思えばよいだろう。まだ雪が消えずに残っている吉野の山では。
- 鑑賞
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春歌 11
詞書は前の歌に続き「題しらず」
まだ雪の残る吉野の山で、春の訪れを知らせてくれるのは霞だけだ、と詠む。霞がなかったら、何によって春が来たと思えばよいのか、と問いかけることで、霞のありがたさを強く表している。
雪深い吉野の山はまだ冬の姿のままであり、その中にあって霞だけが春を告げているという対比が鮮やかである。前歌の谷の細い水と同じく、冬の名残の中に春の兆しを見いだす歌が並んでいる。
初句「霞まずは」は、もし霞がかからなかったなら、の意で、事実に反することを仮定している。
二句「何をか春と」の「か」は疑問の係助詞で、三句の「まし」と係り結びをなす。
三句「思はまし」の「まし」は反実仮想で、初句の仮定を受け、何を春と思えばよいだろうかと問いかけて三句切れとなる。
四句「まだ雪消えぬ」は、雪がまだ消えずに残っている様子で、冬のままの景を示す。上の句と下の句が入れ替わった倒置の形である。
結句「み吉野の山」は体言止めで、雪深い吉野の山の名を挙げて結んでいる。「み」は美称の接頭語である。
みよしの:大和国の吉野の美称。桜と雪の名所
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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春知れと谷の細水漏りぞ来る 岩間の氷ひま絶えにけり
- 次の歌
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藻塩焼く浦のあたりは立ちのかで 煙立ち添ふ春霞かな