花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の咎にはありける
- 歌の意味
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花見にと、人々が群れをなしてやって来ることだけが、惜しむべきこの桜の罪なのであった。
- 鑑賞
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春歌 87
詞書「静かならんと思ひける頃、花見に人々まうで来たりければ」
詞書によれば、静かに過ごしたいと思っていたころ、花見に大勢の人が訪れたので詠んだ歌である。美しいこの桜に罪があるとすれば、それは花見の人々を群れ集めてしまうことだけだ、と詠んでいる。
静けさを求めて山に住む者にとって、桜は愛すべきものでありながら、人を呼び寄せて静けさを乱すものでもある。その思いを、桜を責めるような軽い口調で表したところにおかしみがある。この歌は、のちに世阿弥の謡曲『西行桜』の題材となった。
初句「花見にと」は、花見をしようと、の意である。
二句「群れつつ人の」は、群れをなして人々が、の意である。
三句「来るのみぞ」の「ぞ」は強意の係助詞で、結句の連体形「ける」と係り結びをなす。人が来ることだけが、と限定している。
四句「あたら桜の」は、惜しむべきすばらしい桜の、の意である。
結句「咎にはありける」は、罪なのであった、の意で、三句の「ぞ」を受けて連体形で結び、桜の唯一の欠点を言い当てている。
とが:罪、欠点
まうづ:参上する、訪れる
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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今よりは花見ん人に伝へおかん 世を遁れつつ山に住まへと
- 次の歌
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花も散り人も来ざらん折はまた 山の峡にてのどかなるべし