我が宿に花橘を植ゑてこそ
山ほととぎす待つべかりけれ
- 歌の意味
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自分の家に花橘を植えてこそ、山ほととぎすを待つべきであったのだ。
- 鑑賞
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夏歌 182
詞書「郭公」
詞書「郭公」の題で詠まれた歌である。ほととぎすは花橘に寄ってくる鳥とされていたことから、自分の家にもまず花橘を植えておいてこそ、山ほととぎすを待つべきだったのだ、と詠む。橘を植えずにただ待っていた自分を省みる形で、ほととぎすを待ちわびる心を表している。
花橘とほととぎすの取り合わせは古今集以来の伝統で、その約束事を踏まえた歌である。
初句「我が宿に」は、自分の住まいに、の意である。
二句「花橘を」は、初夏に白い花を咲かせる橘をいう。ほととぎすが好んで訪れる花とされた。
三句「植ゑてこそ」は、係助詞「こそ」で、植えてこそはじめて、と強調している。
四句「山ほととぎす」は、山から里へ出てくるほととぎすをいう。
結句「待つべかりけれ」は、三句の「こそ」を受けて已然形「けれ」で結ぶ係り結びで、そうしてこそ待つべきだったと今になって気づいた思いを表している。
やど:住まい、家
はなたちばな:橘の花、また花の咲いた橘
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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里馴るる黄昏時のほととぎす 聞かず顔にてまた名告らせん
- 次の歌
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尋ぬれば聞きがたきかと郭公 今宵ばかりは待ちこころみん