郭公待つ心のみ尽くさせて
声をば惜しむ五月なりけり
- 歌の意味
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ほととぎすは、待つ私の心ばかりをすり減らさせて、肝心の声は惜しんで聞かせない、そんな五月であることよ。
- 鑑賞
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夏歌 184
詞書は前の歌に続き「郭公」
「郭公」の題の三首目である。ほととぎすは人に待つ心ばかり尽くさせて、その声は惜しんでなかなか鳴かない、五月とはそういう月であった、と詠む。待つ側の気苦労と、声を惜しむほととぎすの姿とが対比されている。
前歌で今夜ばかりは待ってみようと決めたのに続き、この歌では待っても鳴かないほととぎすを恨めしく思う心が詠まれ、待つことの苦しさが深まっていく。
初句「郭公」は、二句以下の主語として示されている。
二句「待つ心のみ」の「のみ」は限定で、待つ心ばかりを、の意である。
三句「尽くさせて」は、心を尽くさせる、つまり気をもませ疲れさせることをいう。「させ」は使役の助動詞で、ほととぎすが人にそうさせている形をとる。
四句「声をば惜しむ」は、声を出し惜しんで鳴かないことをいう。「をば」は「を」を強めた形である。人には心を費やさせ、自分は声を惜しむという対比が、三句と四句とで作られている。
結句「五月なりけり」は、陰暦五月とはそういう月であったと気づいた詠嘆を表して結ぶ。
つくす:すっかり使い果たす、心をすり減らす
さつき:陰暦五月
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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尋ぬれば聞きがたきかと郭公 今宵ばかりは待ちこころみん
- 次の歌
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待つ人の心を知らばほととぎす 頼もしくてや夜を明かさまし