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待つことは初音までかと思ひしに
聞きふるされぬほととぎすかな

歌の意味
待ち焦がれるのは初音を聞くまでかと思っていたのに、何度聞いても聞き古されることのないほととぎすであることよ。
鑑賞
夏歌 189

詞書は前の歌に続き「郭公歌五首よみけるに」
 ほととぎすの歌五首の二首目である。ほととぎすを待つのは初音を聞くまでのことで、一度聞けば満足するだろうと思っていたが、何度聞いても飽きることがなく、また聞きたくなる、と詠む。初音を待つ心だけでなく、聞いた後も続くほととぎすへの思いの深さを表している。
 前歌が声を聞けないまま山路をたどったのに対し、この歌は声を聞いた後も待ち続ける心を詠んでおり、待つ心の別の面をとらえている。

 初句「待つことは」は、ほととぎすの声を待つことは、の意である。
 二句「初音までかと」は、その年最初の鳴き声を聞くまでのことか、と推し量った心をいう。
 三句「思ひしに」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、「に」は逆接を表し、そう思っていたのに、の意となる。
 四句「聞きふるされぬ」は、何度も聞いて珍しくなくなる、ということがない、の意である。「れ」は受身の助動詞「る」の未然形、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形である。
 結句「ほととぎすかな」は、詠嘆の「かな」で、飽きることのないほととぎすの声への思いを込めて結ぶ。

ききふるす:何度も聞いて珍しさがなくなる
作者
西行
出典
山家集
前の歌
ほととぎす聞かぬものゆゑ迷はまし 春を尋ねぬ山路なりせば
次の歌
聞き送る心を具してほととぎす 高間の山の峰越えぬなり