- 歌の意味
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ほととぎすが忍び音に鳴く卯月も過ぎてしまったのに、なおも声を惜しんで鳴かない、五月雨の降る空であることよ。
- 鑑賞
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夏歌 197
詞書「雨中待郭公と云ふ事を」
詞書から、「雨中に郭公を待つ」という題で詠まれた歌であることがわかる。ほととぎすは卯月には忍び音にひそやかに鳴くものとされたが、その卯月も過ぎて五月になったのに、五月雨の降る空でなおも声を惜しんで鳴かない、と詠む。待ち続ける心のじれったさが表されている。
本巻の第百八十四首で、待つ心ばかり尽くさせて声を惜しむ五月を嘆いたのと同じく「声惜しむ」を用い、ここでは五月雨の空を加えて、雨に閉ざされた中で待つ心を描いている。
初句「郭公」は、待っている鳥として示されている。
二句「しのぶ卯月も」の「しのぶ」は、ほととぎすが卯月に人目を忍ぶように小さな声で鳴く忍び音を踏まえている。
三句「過ぎにしを」の「にし」は完了の「ぬ」と過去の「き」で、「を」は逆接を表し、過ぎてしまったのに、の意となる。
四句「猶声惜しむ」は、それでもなお声を惜しんで鳴かないことをいう。
結句「五月雨の空」は体言止めで、雨の降り続く五月の空を示して、待つ心のやるせなさを余情として残している。
しのぶ:人目を避けてひそかにする、ここではほととぎすが忍び音に鳴くことをいう
さみだれ:陰暦五月ごろに降り続く長雨、梅雨
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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ほととぎす花橘は匂ふとも 身をうの花の垣根忘れな
- 次の歌
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五月雨の晴れ間も見えぬ雲路より 山ほととぎす鳴きて過ぐなり