五月雨の晴れ間も見えぬ雲路より
山ほととぎす鳴きて過ぐなり
- 歌の意味
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五月雨が降り続いて晴れ間も見えない雲の中の道を通って、山ほととぎすが鳴きながら過ぎて行くようだ。
- 鑑賞
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夏歌 198
詞書「雨中郭公」
詞書「雨中郭公」の題で詠まれた歌である。五月雨が降り続き、晴れ間もない厚い雲の中から、山ほととぎすの鳴き声だけが聞こえて過ぎて行く、と詠む。姿の見えない鳥の声を、雨雲の奥に聞きとめた歌である。
前歌が五月雨の空の下でなおも鳴かないほととぎすを嘆いたのに対し、この歌では同じ五月雨の雲の中を鳴いて過ぎるほととぎすを詠んでおり、待つ歌から聞く歌へと移っている。
初句「五月雨の」は、陰暦五月に降り続く長雨をいい、二句の「晴れ間」にかかる。
二句「晴れ間も見えぬ」は、雨雲が切れる晴れ間も見えないことをいう。
三句「雲路より」の「雲路」は、鳥や月などが通る雲の中の道をいい、「より」は経由を表して、雲の中を通って、の意となる。
四句「山ほととぎす」は、山から出てきたほととぎすをいう。
結句「鳴きて過ぐなり」の「なり」は、音を聞いて判断する推定の助動詞である。姿は見えず声だけで過ぎて行くことを知る、という状況がこの助動詞に表れている。
くもぢ:雲の中を通る道、鳥や月が行く空の道
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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郭公しのぶ卯月も過ぎにしを 猶声惜しむ五月雨の空
- 次の歌
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郭公聞くにとてしも籠らねど 初瀬の山はたよりありけり