郭公聞くにとてしも籠らねど
初瀬の山はたよりありけり
- 歌の意味
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ほととぎすを聞くためにと思って籠もったわけではないが、初瀬の山はほととぎすを聞くのに好都合な所であったのだ。
- 鑑賞
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夏歌 199
詞書「山寺郭公、人々よみける」
詞書から、「山寺の郭公」の題で人々が詠んだ時の歌であることがわかる。初瀬の長谷寺に籠もったのは、ほととぎすを聞くためではなかったが、籠もってみると初瀬の山はほととぎすの声を聞くのにうってつけの所であった、と詠む。参籠という本来の目的とは別に、思いがけずほととぎすの声に恵まれた喜びを表している。
初瀬は観音信仰で知られる長谷寺の地で、人々が参籠に訪れた。山寺に籠もる身にとって、ほととぎすの声が思いがけない恵みとなっている。
初句「郭公」は、聞く対象として示されている。
二句「聞くにとてしも」の「しも」は強意で、わざわざほととぎすを聞くためにと、の意である。
三句「籠らねど」は、寺に参籠することをいい、「ねど」は打消の「ず」の已然形に逆接の「ど」が付いた形で、籠もったわけではないが、の意となる。
四句「初瀬の山は」は、大和国の長谷寺のある山で、歌枕である。
結句「たよりありけり」の「たより」は都合のよいこと、よい機会の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。
こもる:寺社に泊まり込んで祈願する、参籠する
はつせ:大和国の地名、長谷寺がある
たより:都合のよいこと、よいきっかけ
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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五月雨の晴れ間も見えぬ雲路より 山ほととぎす鳴きて過ぐなり
- 次の歌
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ほととぎす名残あらせて帰りしが 聞き捨つるにもなりにけるかな