五月雨の頃にしなれば荒小田に
人もまかせぬ水湛ひけり
- 歌の意味
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五月雨の頃になったので、荒れた田にも、人が引き入れたわけでもない水がいっぱいにたたえられていることだ。
- 鑑賞
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夏歌 214
詞書は前の歌に続き「五月雨」
五月雨の歌の八首目で、この詞書のもとの最後の一首である。五月雨の頃になると、耕されずに荒れた田にまで、人が水を引き入れたわけでもないのに、雨水が自然にいっぱいにたまっている、と詠む。人の手を離れた荒れ田と、そこを満たす長雨とが描かれている。
前歌が人の丹精した田の早苗を案じたのに対し、この歌は人の手の入らない荒れ田を詠んでおり、人の営みのある田とない田とが対になっている。
初句「五月雨の」は、陰暦五月の長雨をいう。
二句「頃にしなれば」の「し」は強意の副助詞で、まさにその頃になったので、の意となる。
三句「荒小田に」は、耕されずに荒れた田をいう。
四句「人もまかせぬ」の「まかす」は、田に水を引き入れることをいう。人が引き入れたわけでもない、の意である。
結句「水湛ひけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、雨水がいっぱいにたまっていることを見て結んでいる。本巻の第二百七首の初句「水湛ふ」と同じ語を用い、この詞書のもとの五月雨の歌群を、水をたたえる景で始め、水をたたえる景で結んでいる。
あらをだ:耕されずに荒れた田
まかす:田に水を引き入れる
たたふ:水などをいっぱいに満たす
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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五月雨に小田の早苗やいかならん 畦のうき土洗ひ越されて
- 次の歌
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五月雨に干す隙なくて藻塩草 煙も立てぬ浦の海人