秋立つと思ふに空もただならで
われて光を分けん三日月
- 歌の意味
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秋になったと思うと、空までもいつもとは違って見え、三日月は割れて、その光を分けようとしているのだろう。
- 鑑賞
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秋歌 256
詞書「常盤の里にて、初秋月と云ふ事を人々詠みけるに」
詞書から、京都の西郊にある常盤の里で、人々が「初秋月」という題で歌を詠んだ折の一首であることがわかる。秋になったと思って見上げると、空までもただごとではない様子で、細い三日月は割れて光を分けようとしているかのようだ、と詠む。満ちた月の一部が割れたような三日月の形に、秋の月の始まりを見ている。
初秋の空に浮かぶ細い月を、これから満ちてゆく秋の月の光の分け初めとして捉えた趣向である。前歌が風によって秋を知ったのに対し、この歌は空と月によって秋を感じており、風から月へと秋の景物が広がっている。
初句「秋立つと」は前歌の初句と同じで、立秋を迎えたと、の意である。続けて置くことで二首を結びつけている。
二句「思ふに空も」の「も」は、心だけでなく空までも、という含みをもつ。
三句「ただならで」は、普通ではなくて、いつもと違って、の意で、秋を迎えた空の特別な趣をいう。
四句「われて光を」の「われて」は、割れて、の意で、丸い月が割れて欠けたような三日月の形をいう。
結句「分けん三日月」の「ん」は推量の助動詞「む」の連体形で、光を分けようとしているのだろう三日月、と体言止めで結んでいる。
ただならず:普通ではない、いつもと違う
みかづき:陰暦三日ごろの細い月
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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秋立つと人は告げねど知られけり 深山の裾の風のけしきに
- 次の歌
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常よりも秋になるをの松風は わきて身にしむ心地こそすれ