行方なく月に心の澄み澄みて
果てはいかにかならんとすらん
- 歌の意味
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どこまでも果てしなく、月によって心が澄みに澄んでいって、しまいには私の心はどうなろうとしているのだろうか。
- 鑑賞
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秋歌 353
詞書は前の歌に続き「月歌あまた詠みけるに」
月の歌の一連の十七首目である。月を見ていると、心が行き着く先もなくどこまでも澄みに澄んでいき、このまま澄み続けたら、しまいには自分の心はどうなってしまうのだろうか、と詠む。月に向かって限りなく清らかになっていく心に、自分でも行方のわからない不安と驚きを覚えている。
本巻の第三百四十六首の「心の澄めば月の曇るを」と同じく、月によって澄む心を詠みながら、ここでは心が澄み続けたその果てを問うている。
初句「行方なく」は、行き着く先もなく、どこまでも、の意である。
二句「月に心の」は、月によって心が、の意である。
三句「澄み澄みて」は、澄みに澄んで、の意で、同じ語を重ねて心が限りなく澄んでいくさまを強めている。
四句「果てはいかにか」は、しまいにはどのように、の意で、「か」は疑問の係助詞で結句の「らん」と呼応する。
結句「ならんとすらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、なろうとしているのだろうか、と自らの心の行方を問うて結ぶ。
ゆくへ:行き着く先、行方
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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眺むればほかの影こそゆかしけれ 変はらじものを秋の夜の月
- 次の歌
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月影の傾く山を眺めつつ 惜しむしるしや有明の空