月見れば秋加はれる年はまた
飽かぬ心も空にぞありける
- 歌の意味
-
月を見ると、閏九月があって秋がひと月加わった年は、また月を飽きることなく慕う心も、空に浮かれ出ていることだ。
- 鑑賞
-
秋歌 381
詞書「後九月、月をもてあそぶと云ふ事を」
詞書から、閏九月に「月をもてあそぶ」、すなわち月を愛でて楽しむという題で詠んだ歌であることがわかる。「後九月」は閏九月のことで、この年は秋がひと月多かった。月を見ると、秋がひと月加わった年は、月を見飽きることのない心もまた、いつにもまして空へと浮かれ出ている、と詠む。秋の月を長く楽しめる年の喜びを表している。
本巻の第三百六十五首の「心も空に浮かれてぞすむ」と同じく、月を慕う心が空へと浮かれ出るさまを詠んでいる。閏月という珍しい暦の巡り合わせを、月を楽しむ機会が増えた喜びとして捉えている。
初句「月見れば」は、月を見ると、の意で、已然形に「ば」が付いた確定条件である。
二句「秋加はれる」は、秋がひと月加わった、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。閏九月の年をいう。
三句「年はまた」は、その年はまた、の意である。
四句「飽かぬ心も」の「飽く」は満足する意で、打消の「ぬ」と合わせて、見飽きることのない心も、の意となる。
結句「空にぞありける」の「空に」は、空に、の意と、うわの空で、の意とを響かせ、係助詞「ぞ」を受けて連体形「ける」で結んでいる。
のちのくぐわつ:閏九月のこと
もてあそぶ:愛でて楽しむ
あく:満足する、十分になる
- 作者
-
西行
- 出典
-
山家集
- 前の歌
-
雲消えし秋の半ばの空よりも 月は今宵ぞ名に負へりける
- 次の歌
-
雲消ゆる那智の高嶺に月たけて 光を貫ける滝の白糸