月澄むと荻植ゑざらん宿ならば
あはれ少なき秋にやあらまし
- 歌の意味
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月が澄んでいるといっても、荻を植えていない家であったならば、あわれの少ない秋であっただろうか。
- 鑑賞
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秋歌 387
詞書「月前荻」
詞書「月前荻」は、月の前の荻を詠む題である。月がどれほど澄んでいても、もし庭に荻を植えていない家であったならば、秋のあわれは少ないものになっただろうか、と詠む。月の光に、荻の葉を鳴らす風の音が加わってこそ、秋のあわれが満ちることを表している。
本巻の第二百八十五首から荻の葉音の秋のあわれが詠まれていたが、ここではそれを月と取り合わせ、月と荻とがそろってはじめて秋のあわれが完全になるとしている。
初句「月澄むと」は、月が澄んでいるといっても、の意である。
二句「荻植ゑざらん」の「ざらん」は打消の「ず」に推量の「む」が付いた形で、荻を植えていないような、の意である。
三句「宿ならば」は、家であるならば、の意で、仮定条件を示している。
四句「あはれ少なき」は、しみじみとした趣の少ない、の意である。
結句「秋にやあらまし」の「や」は疑問の係助詞、「まし」は反実仮想の助動詞で、そのような秋であっただろうか、と結んでいる。
をぎ:水辺に生える薄に似た草で、葉音が秋を知らせるものとされた
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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花薄月の光にまがはまし 深きますほの色に染めずは
- 次の歌
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月なくは暮れば宿へや帰らまし 野辺には花の盛りなりとも