限りあればいかがは色のまさるべき
飽かず時雨るる小倉山かな
- 歌の意味
-
紅葉の色には限りがあるのだから、どうしてこれ以上色が深まることがあろうか。それなのに、飽きもせず時雨が降り続ける小倉山であることよ。
- 鑑賞
-
秋歌 478
詞書「紅葉色深」
詞書「紅葉色深」は、紅葉の色が深いさまを詠む題である。紅葉の色にはおのずと限りがあるのだから、どうしてそれ以上色が深まることがあろうか、それなのに小倉山には、飽きることもなく時雨が降り続けている、と詠む。すでに色の極まった紅葉に、なおも時雨が降り注ぐさまに、紅葉の色の深さを表している。
時雨が紅葉を染めるという考えを踏まえ、すでに限りまで染まった紅葉になお降る時雨を、飽くことを知らないものとしている。次歌も同じ題で、時雨によって紅葉の色がさらに深まることを想像している。
初句「限りあれば」は、限りがあるので、の意で、紅葉の色の深まりには限度があることをいう。
二句「いかがは色の」の「いかがは」は反語を表し、どうして色が、の意である。
三句「まさるべき」の「べき」は推量の助動詞の連体形で、二句の「いかがは」と呼応し、深まることがあろうか、いやない、の意となる。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「飽かず時雨るる」は、飽きることなく時雨が降り続ける、の意である。
結句「小倉山かな」は、京の西、嵯峨にある小倉山をいい、「かな」で詠嘆して結ぶ。
まさる:程度が増す、深まる
をぐらやま:京の西、嵯峨にある山
- 作者
-
西行
- 出典
-
山家集
- 前の歌
-
さまざまの錦ありける深山かな 花見し嶺を時雨染めつつ
- 次の歌
-
紅葉葉の散らで時雨の日数経ば いかばかりなる色にはあらまし