紅葉葉の散らで時雨の日数経ば
いかばかりなる色にはあらまし
- 歌の意味
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もし紅葉の葉が散らずに、時雨の降る日数を重ねていったならば、いったいどれほど深い色になっていたことだろう。
- 鑑賞
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秋歌 479
詞書は前の歌に続き「紅葉色深」
前歌に続いて「紅葉色深」の題で詠まれた歌である。もし紅葉の葉が散ることなく、時雨の降る日数を重ねていったならば、時雨に染められて、いったいどれほど深い色になっていたことだろう、と詠む。散らずに染まり続ける紅葉を想像し、紅葉の色の深さを反実仮想によって表している。
前歌が紅葉の色には限りがあると詠んだのに対し、この歌はもし散らずに時雨を受け続けたならと仮定し、限りを超えた色を想像している。限りある色と、限りなく深まる色の想像とが、二首で対をなしている。
初句「紅葉葉の」は、紅葉した木の葉の、の意である。
二句「散らで時雨の」の「で」は打消の接続助詞で、散らずに、時雨の、の意である。
三句「日数経ば」は、日数を重ねたならば、の意で、未然形に「ば」が付いた仮定条件である。
四句「いかばかりなる」は、どれほどの、の意で、色の深さの程度を問うている。
結句「色にはあらまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、三句の仮定と呼応し、どのような色になっていただろう、と結んでいる。
もみぢば:紅葉した木の葉
ひかず:日の数、日数
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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限りあればいかがは色のまさるべき 飽かず時雨るる小倉山かな
- 次の歌
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錦張る秋の梢を見せぬかな 隔つる事の闇を作りて