おのづから音する人ぞなかりける
山めぐりする時雨ならでは
- 歌の意味
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たまたまにでも訪れてくる人はいなかったことだ。山々をめぐって降る時雨のほかには。
- 鑑賞
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冬歌 502
詞書「閑中時雨」
題「閑中時雨」は、もの静かな暮らしの中で聞く時雨を詠む題である。山里の静かな住まいには、たまたまにでも訪ねてくる人はいない。訪れてくるのは、山から山へとめぐるように降っては過ぎていく時雨だけだ、と詠む。屋根や軒を打つ時雨の音を、人の訪れの音になぞらえている。
訪れる人のない山里の寂しさは、本巻の第五百五十七首で寂しさを問う人がいてほしいと願う歌などにも詠まれ、本巻を通じて繰り返される主題となっている。
初句「おのづから」は、たまたま、偶然に、の意である。
二句「音する人ぞ」の「音す」は、訪れる、便りをする、の意である。「ぞ」は強意の係助詞で、三句の連体形「ける」と係り結びをなしている。
三句「なかりける」は、いなかったことだ、の意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形で結んでいる。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「山めぐりする」の「山めぐり」は、山から山へとめぐり歩くことで、時雨が山々を移りながら降り過ぎていくさまを、人が山をめぐるように詠んでいる。
結句「時雨ならでは」の「ならでは」は、〜でなくては、〜のほかには、の意で、時雨だけが訪れることを示す。三句までと倒置の関係にある。
おとす:訪れる、便りをする
やまめぐり:山から山へとめぐり歩くこと
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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宿囲ふ柞の柴の時雨さへ 慕ひて染むる初時雨かな
- 次の歌
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東屋のあまりにも降る時雨かな 誰かは知らぬ神無月とは