東屋のあまりにも降る時雨かな
誰かは知らぬ神無月とは
- 歌の意味
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東屋の軒の端に、あまりにもしきりに降る時雨であることよ。誰が知らないことがあろうか、今が神無月であるということを。
- 鑑賞
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冬歌 503
詞書「時雨歌詠みけるに」
時雨の歌を詠んだ折の作である。東屋の軒先にしきりに降りそそぐ時雨を見て、これほど降れば、今が神無月であることを知らない者などいない、と詠む。陰暦十月の神無月は時雨の季節とされており、降りしきる時雨によって誰もが神無月を知る、という趣向である。
催馬楽「東屋」に、東屋の軒の端の雨垂れに濡れて立つ男が歌われており、その「あまり」の語を踏まえて二句を詠み出している。
初句「東屋の」の「東屋」は、四方に軒を葺きおろした簡素な建物である。
二句「あまりにも降る」の「あまり」は、東屋の軒の端の意と、程度が過ぎる意の「あまりにも」とを掛けた掛詞である。
三句「時雨かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「誰かは知らぬ」の「かは」は反語の係助詞で、誰が知らないだろうか、誰もが知っている、の意である。
結句「神無月とは」の「神無月」は陰暦十月の異称で、時雨の降る季節とされた。四句と倒置の関係にある。
あづまや:四方に軒を葺きおろした簡素な建物
あまり:東屋の軒の端の意と、程度が過ぎる意の「あまりにも」を掛ける
かみなづき:陰暦十月の異称
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
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おのづから音する人ぞなかりける 山めぐりする時雨ならでは
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紅葉寄る網代の布の色染めて ひをくくりとは見えぬなりけり