山里は時雨れし頃の寂しさに
嵐の音はややまさりけり
- 歌の意味
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山里では、時雨が降っていたころの寂しさに比べて、嵐の音の聞こえる今の寂しさのほうが、いくらかまさっていることだ。
- 鑑賞
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冬歌 563
詞書は前の歌に続き「冬歌十首」
「冬歌十首」の七首目である。山里では、冬の初めに時雨が降っていたころも寂しかったが、冬が深まって嵐の吹く音の聞こえる今は、その寂しさがいっそうまさっている、と詠む。時雨から嵐へという音の移りによって、冬の深まりと寂しさの増すさまを捉えている。
本巻の第四百九十二首や第五百二首で時雨の音の寂しさが詠まれ、巻頭の第四百九十一首で嵐が詠まれていたように、この歌は時雨と嵐という本巻の音を取り合わせ、冬の進みを示している。
初句「山里は」は、山里では、の意で、詠み手の住まいの場を示している。
二句「時雨れし頃の」の「時雨る」は時雨が降る意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。時雨の降っていたころの、の意である。
三句「寂しさに」の「に」は比較の基準を示し、寂しさに比べて、の意である。
四句「嵐の音は」は、嵐の音は、の意で、冬の深まりを示す音である。
結句「ややまさりけり」の「やや」は、いくらか、しだいに、の意で、「まさりけり」は、まさっていることだ、と詠嘆して結ぶ。
しぐる:時雨が降る
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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冴え渡る浦風いかに寒からん 千鳥群れゐるゆふさきの浦
- 次の歌
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風冴えて寄すればやがて凍りつつ 返る波なき志賀の唐崎