わが袖の涙かかると濡れてあれな
うらやましきは池の鴛鴦
- 歌の意味
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私の袖の涙がかかったのだと思って、濡れていてほしい。うらやましいのは、いつもつがいでいる池の鴛鴦である。
- 鑑賞
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恋歌 608
詞書「寄水鳥恋」
題「寄水鳥恋」は、水鳥に寄せて恋を詠む題である。鴛鴦は雌雄がいつも離れずにいる鳥とされる。その鴛鴦がうらやましく、せめて池の水に濡れるその羽を、自分の袖の涙がかかって濡れたのだと思っていてほしい、と詠むものと解される。独り涙に濡れる自分と、つがいで水に浮かぶ鴛鴦とを対比している。
初句「わが袖の」は、私の袖の、の意である。
二句「涙かかると」は、涙がかかったのだと思って、の意と解される。
三句「濡れてあれな」の「な」は詠嘆を込めた願望を表し、濡れていてほしい、の意である。字余りの句で、ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「うらやましきは」は、うらやましいのは、の意である。
結句「池の鴛鴦」の「鴛鴦」は、雌雄がいつも離れずにいるとされる水鳥で、体言止めで結ぶ。題の「水鳥」に当たる。
をしどり:雌雄がいつも離れずにいるとされる水鳥
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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春を待つ諏訪のわたりもあるものを いつを限りにすべきつららぞ
- 次の歌
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筧にも君がつららや結ぶらん 心細くも絶えぬなるかな