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いつとなくおもひに燃ゆる我が身かな
浅間の煙しめる世もなく

歌の意味
いつと定まることもなく、思いの火に燃え続けるわが身であることよ。浅間山の煙が湿って消える時もないように。
鑑賞
恋歌 696

詞書は前の歌に続き「恋」
 いつということもなく、絶えず恋の思いの火に燃え続けている自分の身であることよ。信濃の浅間山の煙が湿って絶えることがないように、と詠む。「おもひ」の「ひ」に火を掛け、噴煙を上げ続ける浅間山に、燃え尽きることのない恋の炎を重ねている。
 本巻の第六百九十一首で富士の煙と恋の思いを競わせたのに続き、この歌では浅間の煙に恋の火を重ねており、煙を上げる二つの山が恋の炎のたとえとして並んでいる。

 初句「いつとなく」は、いつということもなく、絶えず、の意である。
 二句「おもひに燃ゆる」の「おもひ」は、恋の思いの意と、その「ひ」に火の意とを掛けた掛詞で、「燃ゆる」はその縁語である。
 三句「我が身かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、ここで句切れとなる三句切れの歌である。
 四句「浅間の煙」の「浅間」は信濃国の浅間山のことで、噴煙を上げる山として詠まれる。
 結句「しめる世もなく」の「しめる」は湿る意で、煙が湿って消える時もなく、の意である。上の句に返る倒置となっている。

おもひ:思いの意と、火の意を掛ける
あさま:信濃国の浅間山
しめる:湿る
作者
西行
出典
山家集
前の歌
東路やあひの中山ほど狭み 心の奥の見えばこそあらめ
次の歌
播磨路や心の須磨に関すゑて いかで我が身の恋をとどめん