播磨路や心の須磨に関すゑて
いかで我が身の恋をとどめん
- 歌の意味
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播磨へ向かう道の須磨に関所があるように、心の須磨に関所を据えて、なんとかしてわが身の恋をとどめたいものだ。
- 鑑賞
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恋歌 697
詞書は前の歌に続き「恋」
播磨へ向かう道筋の須磨には、古く関所が置かれていた。その須磨の関のように、自分の心の中にも関所を据えて、なんとかしてあふれ出る恋をせき止めたいものだ、と詠む。歌枕の須磨の関を心の中に移し、抑えがたい恋心を関所でとどめようとする趣向である。
本巻の第六百九十一首の富士、第六百九十五首のあいの中山、第六百九十六首の浅間と、この前後には諸国の歌枕に寄せた恋の歌が並んでいる。
初句「播磨路や」の「播磨路」は、京から播磨国へ向かう道のことで、「や」は詠嘆を表す。
二句「心の須磨に」の「須磨」は摂津国の歌枕で、関所が置かれていたことで知られる。心の中の須磨に、の意である。
三句「関すゑて」は、関所を据えて、の意である。
四句「いかで我が身の」の「いかで」は、なんとかして、の意で、結句の意志の「ん」と呼応している。
結句「恋をとどめん」は、恋をとどめよう、の意で、「とどむ」は関所の縁語である。
はりまぢ:京から播磨国へ向かう道
すま:摂津国の歌枕、関所が置かれていた
とどむ:止める、せき止める
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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いつとなくおもひに燃ゆる我が身かな 浅間の煙しめる世もなく
- 次の歌
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あはれてふ情けに恋の慰まば 問ふ言の葉や嬉しからまし