鈴鹿山憂き世をよそにふり捨てて
いかになりゆく我が身なるらん
- 歌の意味
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鈴鹿山を越えながら、憂き世をよそのものとして振り捨てて、これからどのようになってゆくわが身なのだろうか。
- 鑑賞
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雑歌 728
詞書「世を遁れて伊勢の方へまかりけるに、鈴鹿山にて」
出家して伊勢の方へ向かう途中、鈴鹿山で詠んだ歌である。憂き世を振り捨てて旅立ったが、これから自分はどのようになってゆくのだろうか、と詠む。世を捨てた解放感とともに、先の見えない身への不安が込められている。
新古今和歌集の雑歌に入集し、西行の代表歌の一つとして知られる。
初句「鈴鹿山」は、伊勢と近江の境にある山で、都から伊勢へ向かう道の難所である。「鈴」の語から、二句以下の「ふり」「なり」が縁語として導かれる。
二句「憂き世をよそに」は、つらいこの世を自分とは関わりのないものとして、の意である。
三句「ふり捨てて」の「ふり」は、振り捨てる意と、鈴を振る意とを掛けた掛詞で、鈴の縁語である。
四句「いかになりゆく」の「なり」は、成りゆく意と、鈴が鳴る意とを掛けた掛詞で、これも鈴の縁語である。
結句「我が身なるらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、どうなってゆくわが身なのだろうか、と思いやって結ぶ。
すずかやま:伊勢と近江の境にある山
ふる:振り捨てる意と、鈴を振る意を掛ける
なる:成りゆく意と、鈴が鳴る意を掛ける
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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月のみやうはのそらなる形見にて 思ひも出でば心通はん
- 次の歌
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何事にとまる心のありければ さらにしもまた世の厭はしき