- 歌の意味
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天から降りた神という名を吹上に負う神であるならば、雲を吹き払って晴れさせ、その光を現したまえ。
- 鑑賞
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雑歌 748
詞書「小倉を住み捨てて、高野の麓天野と申す山に住まれけり、同じ院の帥の局、都の外の住みか訪ひ申さでいかがとて、分けおはしたりける、有り難くなん、帰るさに粉河へ参られけるに、御山より出で合ひたりけるを、しるべせよとありければ、具し申して粉河へ参りたりけり、かかるついでは、今はあるまじき事なり、吹上見んといふこと、具せられたりける人々申し出でて、吹上へおはしけり、道より大雨風吹きて、興なくなりにけり、さりとては吹上に行き着きたりけれども、見所なきやうにて、社に輿かき据ゑて、思ふにも似ざりけり、能因が、苗代水に堰き下せ、と詠みて言ひ伝へられたるものをと思ひて、社に書きつける/かく書きつけたりければ、やがて西の風吹き変はりて、たちまちに雲晴れてうらうらと日なりにけり、末の世なれど、志至りぬる事には、しるし新たなりけることを人々申しつつ、信起こして、吹上和歌の浦思ふやうに見て帰られにけり」
待賢門院中納言の局が小倉山の住まいを去って高野山の麓の天野に移り住んだ頃、同じ待賢門院に仕えた帥の局が、都の外の住まいを訪ねないわけにはゆかないと、山を分けてやって来た。その帰りに粉河寺へ参るというので、高野山から出て来た西行が道案内を頼まれ、一行を連れて粉河へ参った。このような機会はもう二度とないだろうと、同行の人々が吹上の浜を見ようと言い出して向かったが、途中から大雨と風になって興ざめとなり、吹上に着いても見どころがなく、社に輿をかつぎ据えて休むばかりで、思っていたのとはまるで違ってしまった。そこで西行は、能因が雨乞いの歌を詠んで雨を降らせたと言い伝えられていることを思い、社にこの歌を書きつけた。すると西風に吹き変わって、たちまち雲が晴れてうららかな日和となった。末世であっても、志が通じたことにはあらたかな霊験があるものだと人々は口々に言って信心を起こし、吹上や和歌の浦を思うままに見て帰ったという。
天から降りた神の名を持つ吹上の神ならば、その名のとおり雲を吹き払い、光を現してほしい、と神に祈る歌である。能因が「天の川苗代水に堰き下せ天降ります神ならば神」と詠んで雨を降らせたという故事を逆にして、晴れを祈っている。
初句「天降る」は、天から降りてくる、の意で、能因の歌の「天降ります神」を踏まえている。
二句「名をふきあげの」の「ふきあげ」は、紀伊国の歌枕である吹上と、雲を吹き上げる意とを掛けた掛詞である。
三句「神ならば」は、神であるならば、の意で、能因の歌の結句「神ならば神」に倣っている。
四句「雲晴れのきて」は、雲が晴れ退いて、の意である。
結句「光現せ」は命令形で、光を現したまえ、と神に願って結ぶ。
あまくだる:天から地上に降りる
ふきあげ:紀伊国の歌枕の吹上と、雲を吹き上げる意を掛ける
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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憂き世をばあらしの風に誘はれて 家を出でにし住みかとぞ見る
- 次の歌
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苗代に堰き下されし天の川 止むるも神の心なるべし