- 歌の意味
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かつて能因の願いによって苗代に堰き下された天の川の水であるが、その雨を止めるのも、また神の御心によるものであろう。
- 鑑賞
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雑歌 749
詞書は前の歌に続き「小倉を住み捨てて、高野の麓天野と申す山に住まれけり、同じ院の帥の局、都の外の住みか訪ひ申さでいかがとて、分けおはしたりける、有り難くなん、帰るさに粉河へ参られけるに、御山より出で合ひたりけるを、しるべせよとありければ、具し申して粉河へ参りたりけり、かかるついでは、今はあるまじき事なり、吹上見んといふこと、具せられたりける人々申し出でて、吹上へおはしけり、道より大雨風吹きて、興なくなりにけり、さりとては吹上に行き着きたりけれども、見所なきやうにて、社に輿かき据ゑて、思ふにも似ざりけり、能因が、苗代水に堰き下せ、と詠みて言ひ伝へられたるものをと思ひて、社に書きつける/かく書きつけたりければ、やがて西の風吹き変はりて、たちまちに雲晴れてうらうらと日なりにけり、末の世なれど、志至りぬる事には、しるし新たなりけることを人々申しつつ、信起こして、吹上和歌の浦思ふやうに見て帰られにけり」
前歌と同じく、吹上の社に書きつけた歌である。能因の雨乞いの歌によって苗代に堰き下された天の川の水、つまり雨であるが、それを止めるのもまた神の御心しだいであろう、と詠む。雨を降らせた神ならば、雨を止めることもできるはずだと、晴れを願っている。
初句「苗代に」は、苗を育てる田に、の意で、能因の歌の「苗代水」を踏まえている。
二句「堰き下されし」は、堰を切って流し下された、の意で、能因の歌の「堰き下せ」を受けている。
三句「天の川」は、空の川の意で、能因の歌の初句を取り、空から降る雨をたとえている。
四句「止むるも神の」は、止めるのも神の、の意で、降らせることと止めることとが対になっている。
結句「心なるべし」の「べし」は推量の助動詞で、神の御心であるにちがいない、と結ぶ。
なはしろ:苗を育てる田
せきくだす:堰を切って水を流し下す
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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天降る名をふきあげの神ならば 雲晴れのきて光現せ
- 次の歌
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この世にて語らひ置かん郭公 死出の山路のしるべともなれ