伝へ聞く流れなりとも法の水
汲む人からや深くなるらん
- 歌の意味
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人づてに聞く末流であっても、仏法の水は、汲む人の心によって深くなるのであろう。
- 鑑賞
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雑歌 857
詞書「返し」
前歌への寂超の返歌である。人づてに伝え聞く末流の教えであっても、仏法の水は、汲む人の心によって深くなるのだろう、と詠む。前歌の「名を聞く」を「伝へ聞く」で受け、遠くで聞くあなたのほうが、かえって深く法を受けとめるだろうと、西行の信心をたたえている。
初句「伝へ聞く」は、人づてに聞く、の意で、前歌の「名を聞く」を受けている。
二句「流れなりとも」の「流れ」は、川の末流の意で、教えの伝わる系統をたとえている。
三句「法の水」は、仏法を水にたとえた語で、二句の「流れ」の縁語である。
四句「汲む人からや」の「から」は、〜によって、の意である。「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と係り結びをなしている。
結句「深くなるらん」は、深くなるのであろう、の意で、「深し」も水の縁語である。
のりのみづ:仏法を水にたとえた語
から:〜によって、〜のために
- 作者
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寂超
- 出典
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山家集
- 前の歌
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広むらん法には逢はぬ身なりとも 名を聞く数に入らざらめやは
- 次の歌
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寺造るこの我が谷に土埋めよ 君ばかりこそ山も崩さめ