朝日待つほどは闇にや迷はまし
有明の月の影なかりせば
- 歌の意味
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朝日を待つ間は、闇に迷っていたことであろう。もし有明の月の光がなかったならば。
- 鑑賞
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雑歌 868
詞書「遇教待竜花といふ事を」
題「遇教待竜花」は、釈迦の教えに出会って、弥勒菩薩が竜華樹の下で悟りを開き説法する時を待つ、という意である。釈迦の入滅後、五十六億七千万年の後に弥勒が出現するまでの間を、朝日を待つ夜にたとえ、その間に残る釈迦の教えを有明の月にたとえている。有明の月の光がなかったなら、朝日を待つ間は闇に迷っていただろう、と詠み、釈迦の教えに出会えたありがたさを述べている。
初句「朝日待つ」は、朝日を待つ、の意で、弥勒の出現を待つことをたとえ、題の「待竜花」に当たる。
二句「ほどは闇にや」の「や」は疑問の係助詞で、三句の「まし」と係り結びをなしている。
三句「迷はまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、迷っていたことだろう、の意である。ここで句切れとなる。
四句「有明の月の」は、夜明けまで残る月で、釈迦の教えをたとえ、題の「遇教」に当たる。六音の字余りである。
結句「影なかりせば」の「せば」は反実仮想の仮定で、光がなかったならば、と倒置によって三句を受けて結ぶ。
りゆうげ:弥勒菩薩が悟りを開くという竜華樹
ありあけのつき:夜が明けても空に残っている月
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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惑ひつつ過ぎける方の悔しさに 泣く泣く身をぞ今日は恨むる
- 次の歌
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西を待つ心に藤をかけてこそ その紫の雲を思はめ