- 歌の意味
- 悟りを得た心の月が現れて、仏は今も霊鷲山の高嶺に住み、澄みわたっているのであった。
- 鑑賞
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雑歌 889
詞書は前の歌に続き「寿量品」
前歌に続いて寿量品を題とした歌である。悟りを得た心の月が現れて、仏は今も霊鷲山の高嶺に住み、澄みわたっているのだ、と詠む。前歌で月が沈んだと見るのは迷いだと述べたのを受けて、悟りの心にはいつも仏の月が見えることを述べている。
初句「悟り得し」は、悟りを得た、の意である。
二句「心の月の」の「心の月」は、悟りを得た澄んだ心を月にたとえた語である。
三句「現れて」は、現れて、の意である。
四句「鷲の高嶺に」は、霊鷲山の高い峰に、の意で、前歌の「鷲の山」を受けている。
結句「すむにぞありける」の「すむ」は、住む意と、澄む意とを掛けた掛詞である。係助詞「ぞ」と連体形「ける」が係り結びをなしている。
すむ:住む意と、澄む意を掛ける
- 作者
- 西行
- 出典
- 山家集
- 前の歌
- 鷲の山月を入りぬと見る人は 暗きに迷ふ心なりけり
- 次の歌
- 雲晴るる鷲の御山の月影を 心澄みてや君眺むらん