行く末のためにと説かぬ法ならば
何か我が身に頼みあらまし
- 歌の意味
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もし後の世の人々のためにと説かれた法でなかったならば、どうして私の身に頼みとするものがあろうか。
- 鑑賞
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雑歌 892
詞書「神力品」
法華経の如来神力品を題とした歌である。この品では、仏が大いなる神通力を現して、仏の滅後の世にこの経を広め保つことを菩薩たちに託したことが説かれる。もし法華経が後の世の人々のためにと説かれた法でなかったならば、末世に生きる私の身に、何を頼みとすることができようか、と詠み、末世の自分たちにまで教えが残されたありがたさを述べている。
初句「行く末の」は、将来の、後の世の、の意である。
二句「ためにと説かぬ」は、ためにと説かない、の意である。
三句「法ならば」は、法であったならば、の意である。
四句「何か我が身に」の「か」は反語の係助詞で、結句の「まし」と係り結びをなしている。
結句「頼みあらまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、頼みがあっただろうか、と結ぶ。
ゆくすゑ:将来、後の世
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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鷲の山誰かは月を見ざるべき 心にかかる雲し晴れなば
- 次の歌
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散り敷きし花のにほひの名残多み 立たま憂かりし法の庭かな