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かしこまる四手に涙のかかるかな
又いつかはと思ふあはれに

歌の意味
かしこまって捧げる幣の四手に、涙がこぼれかかることよ。また次はいつ参れようかと思う哀れさに。
鑑賞
雑歌 1095

詞書「そのかみ参り仕うまつりける習ひに、世を遁れてのちも賀茂に参りけり、年高くなりて、四国の方へ修行しけるに、又帰り参らぬこともやとて、仁安二年十月十日の夜参り、幣参らせけり、内へも入らぬ事なれば、棚尾の社に、取り次ぎて参らせ給へとて、心ざしけるに、木の間の月ほのぼのに、常よりも神さびあはれに覚えて、よみける」
 若い頃から賀茂社に参拝していた習慣のまま、出家後も参詣を続けていた西行が、年老いて四国へ修行に出るにあたり、もう帰って来られないかもしれないと思って、仁安二年(1167)十月十日の夜に参詣して幣を奉った折の一首である。僧の身で社の内へは入れないため、棚尾の社に取り次ぎを頼んだとき、木の間の月がほのかに照らし、いつもより神々しく感じられて詠んだ。かしこまって捧げる幣の四手に涙がかかる、また参ることができるのはいつかと思う哀れさに、と詠む。
 崇徳院の白峯陵への参拝と弘法大師の遺跡巡礼を目的とした四国への旅立ちを前に、神への敬虔な心と、老いの身の生死の不安とが一首に込められている。

 初句「かしこまる」は、恐れ慎んでいる、の意で、神前での敬虔な態度を表す。
 二句「四手に涙の」の「四手」は、玉串や注連縄に垂らす紙垂で、ここでは奉る幣を指す。
 三句「かかるかな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、涙がかかることよ、と三句切れとなる。
 四句「又いつかはと」は、また次はいつ参れるだろうかと、の意である。
 結句「思ふあはれに」は、そう思う哀れさのために、の意で、倒置によって涙の理由を後から示している。

しで:玉串や幣に垂らす紙垂
かしこまる:恐れ慎む
作者
西行
出典
山家集
前の歌
都にも旅なる月の影をこそ 同じ雲居の空に見るらめ
次の歌
昔見し野中の清水変はらねば 我が影をもや思ひ出づらん