深き山に澄みける月を見ざりせば
思ひ出もなき我が身ならまし
- 歌の意味
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この深い山に澄みわたる月を見なかったならば、何の思い出もない我が身であっただろう。
- 鑑賞
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雑歌 1104
詞書「大峰の深仙と申す所にて、月を見てよみける」
大峰山中の深仙という所で月を見て詠んだ一首である。この深い山に澄みわたる月を見なかったならば、自分の生涯には何の思い出もなかっただろう、と、深山の月を生涯最高の思い出として讃えている。
大峰は修験道の霊場で、深仙はその奥駆けの道中の行場である。厳しい修行の果てに見た月の澄明さが、生涯の思い出に値するほど心を打ったことが、反実仮想によって強く表されている。以下、大峰の行場をめぐる一連の歌が続く。
初句「深き山に」は、大峰の深い山に、の意で、字余りとなっている。
二句「澄みける月を」は、澄みわたっていた月を、の意である。
三句「見ざりせば」の「せば」は反実仮想の条件で、見なかったならば、の意を表す。
四句「思ひ出もなき」は、何の思い出もない、の意である。
結句「我が身ならまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、我が身であっただろう、と結ぶ。
おもひで:思い出
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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山城の美豆の御草につながれて 駒もの憂げに見ゆる旅かな
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峰の上も同じ月こそ照らすらめ 所がらなるあはれなるべし