身に積もる言葉の罪もあらはれて
心澄みぬる三重の滝
- 歌の意味
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この身に積もった言葉の罪までも洗われ、あらわになって消え、心が澄みきった三重の滝であることよ。
- 鑑賞
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雑歌 1118
詞書「三重の滝を拝みけるに、殊に尊く覚えて、三業の罪もすすがるる心地しければ」
大峰の三重の滝を拝んだとき、ことに尊く感じられ、身口意の三業の罪までもすすがれるような気持ちがしたので詠んだ一首である。身に積もった言葉の罪までも洗い清められて、心が澄みきった、三重の滝によって、と詠む。
「三重の滝」に三業の「三」を重ね、滝の水が罪を洗い流すという浄化の思いを表している。とりわけ「言葉の罪」と言うところに、歌を詠むことを狂言綺語の罪とする仏教の考えを意識した、歌人西行の自覚がうかがえる。
初句「身に積もる」は、この身に積み重なった、の意である。
二句「言葉の罪も」は、口業すなわち言葉による罪も、の意で、歌詠みの罪をも含意している。
三句「あらはれて」の「あらはれ」は、罪が「洗はれ」る意と、本性が「現れ」る意を掛けた掛詞である。
四句「心澄みぬる」は、心が清らかに澄みきった、の意で、滝の水の縁語となっている。
結句「三重の滝」は大峰の滝の名で、三業の罪に対応させた体言止めである。
みかさねのたき:大峰にある三段に落ちる滝
さんごふ:身、口、意による三つの行い
あらふ:罪を「洗はれ」る意と、「現れ」る意を掛ける
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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屏風にや心を立てて思ひけん 行者は帰り稚児は泊まりぬ
- 次の歌
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こここそは法説かれける所よと 聞く悟りをも得つる今日かな