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山水のいつ出づべしと思はねば
心はそくてすむと知らずや

歌の意味
山の水のように、いつ山を出ようとも思っていないので、心細く思いながらも、心は澄んで住んでいると知らないのか。
鑑賞
雑歌 1150

詞書「高野に籠もりたりける人を、京より、何事か、又いつか出づべきと申したるよし聞きて、その人に代はりて」
 高野山に籠もっている人に、京の人から、変わりはないか、いつ山を出てくるのか、と言ってきたと聞き、その人に代わって詠んだ一首である。山の水が湧き出るように、いつ山を出ようとは思っていないので、心細くても、心澄んで住んでいるのだと知らないのか、と答えている。
 山水の「出づ」に山を出る意を重ね、「すむ」に住むと澄むを掛けて、山籠もりの決意と清らかな心境とを伝えている。都の人の問いかけに対して、山にとどまる覚悟を穏やかに示した一首である。

 初句「山水の」は、山の水のように、の意で、湧き出る「出づ」を導いている。
 二句「いつ出づべしと」は、いつ山を出ようと、の意で、山水の湧き出る意を重ね、同音の繰り返しが調子を整えている。
 三句「思はねば」は、思っていないので、の意で、已然形に「ば」が付いた確定条件である。
 四句「心はそくて」は、本文、読み仮名の行ともに「こころはそくて」とあり、心細くて、の意に解する。「すむ」は、山に「住む」と心が「澄む」とを掛けた掛詞である。
 結句「すむと知らずや」の「や」は反語的な問いかけで、住んで澄んでいると知らないのか、と結ぶ。

すむ:山に「住む」と、心や水が「澄む」を掛ける
いづ:山を「出づ」意と、水が湧き「出づ」意を重ねる
作者
西行
出典
山家集
前の歌
あはれなりよりより知らぬ野の末に 鹿を友に馴るる住みかは
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影薄み松の絶え間を漏り来つつ 心細しや三日月の空