子の日する野辺の我こそ主なるを
五葉なしとて引く人のなき
- 歌の意味
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子の日の遊びをする野辺では、私こそが主であるのに、五葉でないからといって、引いてくれる人がいないことだ。
- 鑑賞
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雑歌 1185
詞書「ただの松を引き添へて、この松の思ひ合はする事申すべくなんとて」
前歌の五葉の小松に、普通の松の小松も引き添えて、この松の思いも申し上げようと言って添えた一首である。普通の松の立場に立って、子の日の遊びをする野辺では私こそが主であるのに、五葉でないからといって引いてくれる人がいない、と嘆いてみせている。
珍重される五葉の松に対して、ありふれた松の気持ちを代弁するという、ユーモアに富んだ擬人法の歌である。前歌と一組で贈られ、二種の小松に機知を添えている。
初句「子の日する」は、子の日の小松引きをする、の意である。
二句「野辺の我こそ」の「こそ」は強意の係助詞で、野辺では私こそが、の意を表す。
三句「主なるを」の「を」は逆接で、主であるのに、の意である。
四句「五葉なしとて」は、五葉の松ではないからといって、の意である。
結句「引く人のなき」は連体形止めで、引いてくれる人がいないことだ、と嘆きを込めて結んでいる。
ねのひ:正月の最初の子の日。小松を引いて長寿を祝った
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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君がため五葉の子の日しつるかな たびたび千代を経べきしるしに
- 次の歌
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この春は枝々までに栄ゆべし 枯れたる木だに花は咲くめり