絶えたりし君が御幸を待ちつけて
神いかばかり嬉しかるらん
- 歌の意味
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長く絶えていた君の御幸をようやく待ち迎えて、住吉の神はどれほど嬉しく思っておられることだろう。
- 鑑賞
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雑歌 1218
詞書「承安元年六月一日、院、熊野へ参らせ給ひける跡に、住吉に御幸ありけり、修行しまはりて、二日、かの社に参りたりけるに、住江新しく仕立てたりけるを見て、後三条院の御幸、神、思ひ出で給ひけんと覚えてよみける」
承安元年(1171)六月一日、後白河院が熊野参詣の帰りに住吉社へ御幸された。修行の途中で翌二日に住吉社に参った西行が、住江の社殿が新しく整えられているのを見て、かつての後三条院の御幸を神も思い出されたことだろうと感じて詠んだ一首である。長く絶えていた君の御幸をようやく迎えて、住吉の神はどれほど嬉しく思っておられるだろう、と詠む。
後三条院の住吉御幸から百年近くを経て、再び上皇の御幸を迎えた住吉の神の喜びを思いやっている。神の心を推し量る形で、御幸の盛儀を祝う一首である。
初句「絶えたりし」は、長く絶えていた、の意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。
二句「君が御幸を」は、上皇の御幸を、の意である。
三句「待ちつけて」は、待ち受けて迎えて、の意である。
四句「神いかばかり」は、住吉の神はどれほど、の意である。
結句「嬉しかるらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、嬉しく思っておられることだろう、と神の心を推し量っている。
みゆき:天皇や上皇の外出
すみのえ:住吉の古称
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
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もろともに秋も山路も深ければ しかぞ悲しき大原の里
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いにしへの松の下枝を洗ひけん 波を心にかけてこそ見れ