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言の葉の情け絶えにし折節に
あり逢ふ身こそ悲しかりけれ

歌の意味
歌の道の風情が絶えてしまったこの折に、たまたま生き合わせた我が身こそが悲しいことだ。
鑑賞
雑歌 1228

詞書「讃岐におはしまして後、歌と云ふ事の世にいと聞こえざりければ、寂然がもとへ言ひ遣はしける」
 崇徳院が讃岐に配流されてのち、和歌というものが世の中でほとんど聞かれなくなったので、寂然のもとへ送った一首である。歌の道の情趣が絶えてしまったこの時に、たまたま生き合わせた我が身こそ悲しい、と詠む。
 崇徳院は和歌を深く愛し、自ら百首歌を召すなど歌壇の中心であった。その院が去り、歌の道が衰えたことを嘆き、歌を愛する友の寂然と悲しみを分かち合っている。次の第千二百二十九首の寂然の返歌と一組をなす。

 初句「言の葉の」は、和歌の、の意である。
 二句「情け絶えにし」は、風情や情趣が絶えてしまった、の意で、「にし」は完了と過去の助動詞である。
 三句「折節に」は、その時節に、の意である。
 四句「あり逢ふ身こそ」の「あり逢ふ」は、たまたまその時に生きて居合わせる意で、「こそ」は強意の係助詞である。
 結句「悲しかりけれ」は「こそ」の結びとして已然形で、悲しいことだ、と結ぶ。

ことのは:言葉。ここでは和歌
ありあふ:その時に生きて居合わせる
作者
西行
出典
山家集
前の歌
かかる世に影も変はらず澄む月を 見る我が身さへ恨めしきかな
次の歌
敷島や絶えぬる道に泣く泣くも 君とのみこそ跡を偲ばめ